黒沢久子:
こんばんは、始まりました。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽、セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。
と、言いますのもですね、やっぱり『脚本家たちの深夜の密談』ということで、脚本家の立場からこの 話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから急遽決めました。
なかなか勇気のある決断だったので、私たちだけでは心もとないので、40年に渡ってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来て頂きました。
伴さんどうかよろしくお願い致します。
伴一彦:
はいこんばんは、お邪魔します。
黒沢久子:
伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが、12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのか、という経緯をSNSに投稿されるんですね。
でそれを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上SNS上で大炎上し始めるんです。
当初はもう9割型脚本化を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」等とひどい攻撃が 上がっておりまして、で、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくてごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。
で、その段階で私自身も、伴まさんに「ちょっとこの話したいんで」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなという、ツイートアカウント消されている、てことは、もう消したいのかなというので触れない方がいいのかなと考えたりもしていたんですけれど、今日になって田さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家ドラマに関してですよね、この件に関して私たちは当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上ご自身たちの発信で知ったことが全てですので憶測でもの言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を確信もなく確認することもなく手に入れてお話しするつもりもありません。
あくまでも今分かってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは、脚色の仕方など、どんなことを脚本家がして、どんなトラブルこれまで起こってたのか、等とをお伝えできればなとっております。
ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなりこう、なんていうんですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、いいかがですか。
伴一彦:
いや、僕もポストしたんですけど、やっぱ原作者さんと脚本家、両方が、お互いの意思を知らないで、進んでしまってるのが1番の原因かなと思ったんですよね。
そこは僕はえ全く現作者とは揉めたことなくて、お友達になって飲みに行ってというパターの方が多いんですけどね。
番組って脚本家が自由に書けるわけでもないじゃないですか。監督が勝手に撮れるわけでもなくて、プロデューサーが全ての責任を負うんですよね。
番組の方向性だとか、どういう風にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者といろんな交渉をしてドラマ成立させてくれたんだなとは今振り返ると思うんですよね。
つまりトラブルがをなくすのがプロデューサーの仕事という風に思ってるんで、ただ、まああの、原作者の意図とか分からない時に話し合いをしたいとこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集者と かプロデューサーがそこを会わせない方が良いと思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、会わずに話が進んじゃうんで、最後に記者発表の時にお会いした時には「面白かったです」て言ってくれたりみたいなことがあったんだよね。
会う時間はなかったのかもしんないけれども、なんかあったらやっぱり直接会って話すっての1番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますけどね。
黒沢久子:
そうですよね。私も、テレビに限らず映画なんかでもそうなんすけど、やっぱり私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者ってやっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりしがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただそんなになんだろう、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらが書いたものを「原作者の方からこういう要請がきました」みたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな、呼び付けられて「なんかあなたって本当私の原作のこと全然分かってないわね」みたいなうんことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってないですよね。
それはやっぱり、だからそんなのを会わせたら、お互い対立するに違いない、みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果だから、原作者の要望も10聞くのではなく、ま、5聞くことにして、5は原作者の方に納得して頂いて、持ち帰った5だけはこちらが説得されて直す、とかなんかそういうことでしてきた経験があるので、やっぱりX上でね、なんか脚本が原作を全部変えている、みたいな発言を見るととっても心が痛んだんですよね。
伴さん経験上、ご自身勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」て言って通るってどれぐらいの確率であります?
伴一彦:
いや僕結構そういう意味では、原作から変えてることが多いんすよ。
例えばあのXTwitterにも書きましたけど、『喰いタン 』とか原作は歴史小説なんですけれども、それもやめて探偵事務局にして、探偵の助手がいるんですけど、それも原作だと女性だけなのを2人男女にして、もう1人子供も加わってみたいな、もうほとんど原作のエピソードも使ってないんですよね。
でもそれに関して寺沢さんていう原作者の方からは何もなく、プロデューサーが止めてたのかどうかも分からないんですけれども、スタジオ収録の最終回の収録の時にいらっしゃって、で初めて挨拶して、僕はちょっとドキドキしてたんですけども、「本当 に面白かった」みたいに言って頂いて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、あの演出家の悪口言ったりとかみたいなことまでしたし。
あとデカワンコも原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとあのだいぶ忘れてきましたけど、その犬を犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ごくせんとかを書かれて森本梢子さんていう方が作者さんなんですけれども、何回目か進んだ時にスタッフルームに手書きの漫画付きのファックスを頂いて、「参りました、本当に面白いこういう漫画を書きたかった」みたいなことまで書かれてたんですよ。
黒沢久子:
で、そのお2人の原作をに入る時にですよ、その仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよ、みたいな説明ってありました?
伴一彦:
いや特になかったと思いますね。
これをやるんだったらね、こうしたい、とか、こうしましょう、みたいなのを企画会議でやって、大体そこでまとまった通りだったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていう、プロデューサーさんとの会議を経て、決定することですよね。
黒沢久子:
その企画会議で、「いやいやこれは原作通りにでやってください」言われた時、伴さんであったとしても、なかなか変えられるものではないですよね。
伴一彦:
原作通りにやれっていうことですか?
黒沢久子:
つまり伴さん1人の力で変えられるもんなのかなっていう。
伴一彦:
それはもちろん同意がないとできないですもんね。
あの僕がやる時は大体プロデューサーと一緒に本を作ることにしてて、で、監督は後から入ってくるんですよ。
デカコの場合は、面白い監督なんで、現場で思い付いたことを入れていったりとかね。
やったんですけど、それも、僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども、それも面白がってくれてたんですよね。
黒沢久子:
ですよね。
あの原作者の方の中には、やっぱり、なんか2種類いるなと思っていて、もうね、「原作は原作、映像化は映像化で全く別物なのでもうご自由にどうぞ、出来上がりを楽しみにしています」っていうタイプの原作者さんも少なからずいらっしゃるし、多分今のね2ケースの場合は、そういう原作者だったのかな、ていう気もうんするんですけど、その一方で特にあの初めて書いた本ですとか小説ですっていう原作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうようなうんケースもありますよね、あの以前前前回かな、でもちょっと話題に出た、『柔らかい生活』の原作者さんも「本当に思い入れのある小説なので」ていうことでまちょっと裁判 になってしまったりとか。
伴一彦:
東野圭吾さんてどっちタイプなんですか。
黒沢久子:
私は東野さんやったことないのでよくわからない…ただ、あの作家の方でも作品によるケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください、でもこれは…ていうのがあって、だから私の場合は、もう原作で企画ができた段階で「原作者の方ってどれくらい変えていい方なんですか」ていうのはまず聞くようにしてますね。
ていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としして。
伴一彦:
実はあの東野敬吾さんが乱歩賞を取った『放課後』ていうのを脚色してるんですよ。
それはま高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春よりな青春物っぽいノりで書いたんですけど、それに関しても、東野さんと会ってもいないし、なんか意見を聞いたこともないんですよね。
黒沢久子:
そうなんですよね、ただ、やはりあの今回の場合すごく実は特殊なケースだったんだなって後から分かったのがうん、もうそのドラマ化を許可する段階の 条件として「原作通りにやってください」という条件が出されていたっていうのが、ちょっと今回の場合か特異なケースだなとは感じたんですよね。
それを受けてしまって、伴さん可能ですか?と思うんですよね、映像化するにあたって、原作まんまみたいな。
伴一彦:
何をもってまんまていうのか。
だってもう媒体が違うわけだから、絶対、ね、同じものにはなんない。
黒沢久子:
なんですけれど、やっぱりそれをどこまでならないですよ、だけどできる限り原作を生かす方向でいきます、みたいな説明がなされたのか、やっぱりその辺りがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのか、ていうこの2点が分からないので。
伴一彦:
脚本家さんのインスタを見るとそれは全く伝わってない感じですもんね。
これだからあの約束ごとの問題ですよね。
いい悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が思ってることと違うっていう違ってたっていうことですよね。
kisaki:
こういうのって普通契約書みたいなのって交わすんですか。
伴一彦:
えっと僕とは多分交わしてると思うんですけど、僕は1回もその原作者と局が交わした契約書見たことは ないですよね。
kisaki:
脚本化側が見れるものではないんですね。
伴一彦:
そうですね、「どういう約束しましたか」みたいなことは聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ『七瀬ふたたび』ていう筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そん時にはプロデューサーが、筒井さんに、こういう風に変えたい、なぜならこういう理由で、みたいなことを愛を込めた文章でメールを送られてたところから始まったみたいですね。
うんだからあのヘンリっていうエンリだったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にもあの今の時代ちょっと黒人があの上位にいてとか下位にいてみたいな、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんですよね。
それもこういう理由でみたいなことを言って、多分テレビ化をOKしてくれたと思うんですよ。
筒井さんの場合は、台本隅から隅まで読んで、添削者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるか、みたいなことまで毎回メールを頂いて、それはプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
それで直した、まんま直したかちょっと忘れましたけれども、そういうやり取りをやりました。
始まる前に原宿のお家にも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどね。
黒沢久子:
いやだけどなんか伴さんの今の話を聞いてなんとなく問題点が分かってきたなって、ちょっと感じたのがですね、とある原作者の方が、ドラマ化にあたってもめている最中にその原作者の方と会ってお話する機があったんですよ。
私は関わってなかったんですけど、そしたらその原作者が言うには、「別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよ」ていう。「そういう辺りをふわっとしたまま変えられても納得いくわけないじゃないですか」その方おっしゃってて、全くその通りだなと思ったんですよね。
こっちだってね、原作を変えるには 変えた方が良いって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。
それをどれだけねお伝えして納得していただけるか、ていうのは、やっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
だけどやっぱり最近のテレビドラマのこう撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、スケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかと思うんで、なんか、ね。
伴一彦:
までもそこは、時間かけるべきところですよね。
黒沢久子:
本当そう思いますね。
さの:
だってそこに時間かけなかったら、その原作者にも意図が伝わらないし、脚本家にも、なんですか、原作者の意図が伝わらないから、結局そごが発生してそのままずっといっちゃいますよね。
黒沢久子:
そうなんですよ。だから不信感だけが募ってっていことなのかなって。
ちょっとコメント頂いているので。
<芦原さんは最後の2話をご自身で脚本書かれていますが、以前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました>
いやそれは多分ご自身も、なんか出ているニュースを読む限りは、本当は書きたくて書いたわけではなかったという?
でえっとねま推測はしないとは言いましたけど、最初の約束として、提示されていたんですって。これ憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、「完結していないからドラマの完結するその話に関しては、自分のストーリーを使ってほしいし、セリフもそのまま書いてください」という条件を出していたんですって。
でただその最中ですごく過失が多くて時間的なことも考えて、自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本家は脚本で家最初の内はきちんと任されていたんだろうと思います。
そんなになんか、無謀な要求をされていたわけでも ないし、ただ、やはりなんていうんでしょうね、芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、で、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれ自分が好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に答えたいと思うのってやっぱりそれはお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねうんですよね。
それぞれのファンの方は、それ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちがなんかあまりにも責めすぎなんじゃないの、ていうのはちょっと感じましたね。
伴一彦:
まあね、芦原さんの最後のポストがね、「攻撃したかったわけじゃなくて」ていう。
この件だからうんあの脚本家の方に非難が集中してる、原作者に避難っていうのはほとんど僕見たことがないんですけど、それそれなのにね、原作者はこういうことを書くっていうのはやっぱりあのSNSの誹謗中傷に心を痛められたのかな、と思っちゃいますけどね。
ま、推察なんで、あれですけど
黒沢久子:
そうなんです。あの何でしょうね、やっぱりここ最近本当に私自身がもういけない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのが、すぐに対立構造でものを語りたがる、ていう。
だからこれだって別にね、そうそこまで脚本家さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
ただ分かりやすいから原作者VS脚本家みたいな、なんかそれで脚本家が意地悪をしたとかね、原作者側につきます、みたいな、なんかそういう対立構造で語ってしまっているから、こういう原作者さんにしても胸を痛めるような、なんか、攻撃の意図なんかないのに、ていう、ことになってしまったのじゃないかと思いますし、なんか意見を言うのは本当にね、憲法で保証されている言論の自由みたいなものを笠に着ておっしゃる方もいらっしゃいますけど、匿名で、そのドラマがどういう形で作られるのか、先程も言ったように、脚本家1人の独断で、なんて絶対改変できないのに、そんなことも知らずになんか脚本家が1人でなん原作を変えたかのように決めつけ避難するっていう、そこはやっぱりしてはいけない ことだと私は思いましたし、それは本当に皆さんにお伝えしたいなと思って、今回は時間を設けさせていただいているんですが。
さの:
だからあの…芦原さんのブログ読んだ時も、あの、何度もね、そのプロデューサーの方に違う、ていう風にお願いしたのにやっぱりその原作通りにやってもらってる脚本が戻ってこなかったっていうのは書かれてましたけど、やっぱりあれですよね、その連絡係りの人が、そんな脚本家だって「いや絶対こっちの方がいいんだ」みたいなそんな我を、そこまで言われて通す人ってあんまりいないと思うんですけど、やっぱ連絡がうまく取れてなかったっていう可能性は高いですよね。間に入った人が連絡をちゃんと取ってなかったっていう。
伴一彦:
話をまたあれするのも嫌ですけど、やっぱ10話でしたっけ、結構長い時間かかるわけで、半年ぐらいはかかるわけで連続ドラマって。
その間にケアレスミスだけじゃなく、コントロールミスなんだろうなとは思っちゃいますもんね。
黒沢久子:
そうなんですよね。やっぱり本当にもうみんな真剣にいいもの作ろうと思っているからこそ、やっぱり時にはね、ちょっと脚本家の方もが滑ったりとかするし、そういうことに対して、フィードバックが来てさあどうしようか、ていう話し合いがなされて、ていうことをやっぱり丁寧にやっていたら起こらないことだったのではないのかなという気もしますし。
ていってもやっぱりね、伴さんなんかもすごく経験があると思うんですが、どうしたって時間に追われる部分ってありますよねテレビドラマって。
その中でちょっとなおざりにしてしまう部分っていうのも、あったりするのが…。
伴一彦:
デカワンコも時間に追われてましたけど、全くそこは気にすることはなかったですよね。
黒沢久子:
その中で、なんか「原作まんまやるつもりがないんだったらオリジナルをやれよ」ていう意見 今回の件でものすごく上がってきてるのがね、「でオリジナルを書けもしないくせ、原作に頼ってるのに何改悪してるんだ」みたいなうんなんかそういうツイートを読む度にちょっと胸が痛むというか、脚本家だってオリジナルものを書きたいんですよ。
オリジナルの企画が通らないという。
伴一彦:
オリジナルで結構大変なのは、つまりあの成果物が最初に見えないから、原作物だとどれぐらい売れてるかとか、どこら辺に視聴者がいるのかとかね、それ求めてる人がいるのかって見えるし、あと役者も着地点が見えてるじゃないですか、ま、着地点が見えてないと芝居ができないっていうのはああのダメだと思うんですけれども、そういう意味では、やっぱり安心感があるんですよね原作物は。
で、めんどくさかったのは、オリジナルでやった時 に「最終回までのプロットを作ってれ」みたいことを言われて、ちょっと他の人もいれてそれを作ってもらったんだけど、そんなん、僕のスタイルは書いてみないと分かんないよ、みたいな、シチュエーションだけ決めて、そん中でこう人を動かしていくっていう話が僕は多いんで、非常にその全部のプロッ作れて言われたのはちょっと苦痛でしたね。
それは役者向きだったんですけれども、スポンサーに見せるためとかって言われたことはないけど。
黒沢久子:
企画が通った段階で、スポンサーさんが最後まで、てのは多分ないと思うですよね。
ただ役者さんはやっぱりこのどうなるのかやっぱり知りたいので、ていう方は多いですよね。
まず受けるか受けないかっていうところでも「最初の1話2話じゃ分かんないんで、この後…」という方もいらっしゃるし、実際に受けて頂いてからも「これからのも、うもうちょっとなんか役作りができないからちょっと先知りたい」とかいうのもありますもんね。
だから本当になんかオリジナルやろうとすると、脚本家も大変だけど、色んな人たちが先が見えない分大変になってきてしまって、その辺りちょっと怠慢じゃないですけどね、なんかサボってしまっていた部分とか甘えてしまっていた部分もあるのかもしれないですよね。
さの:
あとはやっぱ作る側にとっては、原作がある、しかも売れてる原作があるなんてやっぱ作る時に局とかにとってはものすごい安心材料になるじゃないですか。
だけどやっぱり予算がない中で作るから、なんですか、原作を改変したとか改悪したみたいなことになっちゃうじゃないですか。
改変をしたって言われますけど、やっぱ予算がない中でこう作っていくから、もう改変せざるを得ない部分とかも出てくるわけじゃないですか。
そういうのってどうやったら…予算を上げてくしかないですよね。
その問題を解決するには1つは。
伴一彦:
ご理解頂くしかない。
kizaki:
どうしてもご理解頂けない、ていう時には本当にその原作は使わないっていうことにした方が良いですよね。
黒沢久子:
約束できない約束はしちゃいけないし、本来はね。
さの:
あのやっぱ時間が、もう少しその調整する時間があればこんなことにはならなかったんじゃないかっていう…こといえる。
kizaki:
どうなんだろう。本当に日本テレビに調整する気があったかどうかは、ちゃんと検証するべきですよね。
黒沢久子:
「そこら辺きちんと知らせてくださいよ」て声は上がってくると思いますので。
伴一彦:
人が1人なくなったわけですからね。
黒沢久子:
本当にもう繰り返しますけど、あの、あんまりなんだろう、どっちが悪いとか、言わない方がいいと思います、状況も分からないのに。
私人逮捕系YouTuberがめちゃくちゃね捕まってますけど、同じですよ、どっちが悪いとかっていうのって。
なんかそういう自覚を持って発言してもらいたいなとしか、今私は言いようがないですよね、だってやっぱりそのケースそのケースで事情が出てくるんですよ、制作する上で。
だから今回もね、いろんな推測憶測が飛んでますけど、本当はどういうことがあって、ていうことなんて分かっていないんだからね、もう本当脚本家のせいとか、断言するような発言は本当にやめて頂きたいな。
さの:
原作者の方だって多分、もう多分じゃないよ、絶対、こうね、命を削って作品を作ってるわけじゃないですか。
脚本家だってそうじゃないですか。
それを軽はずみにあの対立構造において批判しないで欲しいです。
黒沢久子:
コメント頂いたので読みます。
<脚本家の方も気の毒でなりません、仕事をしただけなのに。10年以上前ですが、TVで、原作ものが多くオリジナルをやらせてもらえないという話をされていて、脚本家はストーリーを作られないと思われている。漫画家さんにはできることを、脚本家にはできないと思われている、というようなことをおっしゃっていたのをすごく覚えています>
伴さんどうですか。
伴一彦:
みんなオリジナルでやりたいと思ってるんですよ、ほぼ。で原作も例えばその同じ『セクシー田中さん』を今ここにいる4人が書いたら全く別のものになるじゃないですか。
黒沢久子:
伴さん伴さん伴さんごめんなさい、割り込んで申し訳ないですけど、原作者さんはそれが嫌だったんですよ。
それをやらないでください、ていう前提で、本来だったら、4人がいたら4人別なものになるんですよ、映像化したら。
でも今回は特異でそれが嫌だから、もう「原作通り にやってください」ていう条件をつけての映像化だったんですよ。
伴一彦:
うん、僕が言いたいのはだからそれだけあの脚本家の占める割合は大きい。
だから僕はあの条件を付けられたらやらないなと思ったんですよね。
だってそのただあの紙に書いてあるものを映像に取りやすいように書くだけ、ていう作業になっちゃうじゃないですか。
作家性は必要ないわけじゃないですか。我々の。
黒沢久子:
でも悲しいかな、それを望んでる人たちがあまりにも多いんですよね。
原作トレースでやってくれみたいな。
kizaki:
それは視聴者層ですか?制作サイドですか?
黒沢久子:
視聴者層ですよね、視聴者層というか原作ファンの方々ですよね。
kizaki:
でも原作物をドラマ化する、ていうのはもう原作ファンを最初から想定してるじゃないですか。
黒沢久子:
そういうことなんです。ということはじゃあ望むもってなると、やっぱり、制作者サイドとしてでもトレースの上手な脚本家さんでいいよ、てなるっていう、だからそうするとやっぱり作家が育ってかないていうね。
で、だんだんだんだん、その脚本化の力量が落ちて全体的に文化が縮小していくというか、ちょっと文化、て母数多くしちゃいましたけども。
なんかそういう危機に今瀕しているのかなという感じはしますけどでも。
伴さんのアイコンに出てるんですけど、これ伴さんの小説ですもんね、ミステリー小説をご自身で書かれているから、脚本家がストーリー書けないってのは本当に大きな間違いだなてこと、皆さんに分かって いただきたいですよね。
伴一彦:
いやそれであの自分の小説をじゃあ誰か他の脚本家に預けるか、ていったらうんどうしようかなとちょっと今回のことで考えてしまったりするんですよ。
kizaki:
伴さんその原作の小説をもし映像化するとしたら変えられるのはやっぱり嫌ですよね。
伴一彦:
いやというか自分で書くの条件にするかなとも思ったりしますけどね。
黒沢久子:
でももしも他の脚本家さんじゃないと、て言われて、まあまあしぶしぶ呑んだとした時に、やっぱり意図を外して脚色されたら違うだろうって言いますよね。
伴一彦:
でも、こうなるのか、ていう面白さもあるのかなと思ったりもしますけどね。
ちょっとまだだから分からない。
実際そういうオファーがあるとすごく嬉しいし、その時に悩みたいとは思いますけど。
その作家に脚本家に信頼性が「あ、この人なら」という風にこちらが思えれば渡すかなという気はしないではないですけど。
黒沢久子:
やっぱりそこでもなんか信頼関係あって初めてできることですもんね。
さの:
もしその伴さんが、その今の書かれた小説を映像化したいって話来たら、脚本化の人に会ってみたいですか?会っておきたいですか?
伴一彦:
だからそれもちょっと考え中です。考えちゃいますよね。
えっと会うっていうか、この人でオッケーを出すかどうかっていうことではなく、ですよね。
それは会って「いやどうぞご自由に」て言ってあげた方がいいかもしれないし、あるいは「ここだけは変えないでくれ」て言うかもしれないし。
さの:
やっぱり顔が見えない奴が、そのドラマの為とはいえ、こうちょっと改変してっているっていうのは、なんかちょっと気持ちのいいものでは確かにないかもしれないですね。
原作者の立場に立ったら。
伴一彦:
まあ、ある程度見えるじゃないですか。
その人が今まで書いてきたもの、こう眺めると、あ、こういう系統の人だ、こう、自分に合ってるのか、みたいなね。
僕サスペンスも書いてますけれども、そこでも僕で オーケ、て言ってくれた人は、そういう昔のやつを見たりとか、周りの人がチェックしてアドバイスしてくれたんだろうなと思いますけどね。
黒沢久子:
私は原作者の方に会いたくない派なんですよ。
私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあんまり関係ないかなって。
まあ人それぞれね、やり方は違うので。
ちょっとコメント読みますね。
<原作者さん気の毒です。
脚本家さんも気の毒です。
脚本は原作を変えるように言われることも多いですものね>
伴さん多いですよね、「恋愛要素入れてくれ」とか結構注文がつくことは多いですし、役者さんが決まってから、「変えてくれ」みたいなこともあったりしますよね。
意外と多いのが役者さんからの要望ってのもあったりするのかな。
<素人からすると、アニメは比較的原作に忠実で、実写は原作から離れるイメージがありますね。>
これは、やっぱり2次元から3次元にするって結構大きなことで、やっぱり肉体を持った役者さんが演じるってなった時に、変えざるを得ないことが多いんですよね。
伴一彦:
あの昨日もちょっと話しましたけど、アニメて、その原作のシナリオ作らないでまんま原作を映像化するみたいなケースもよくあるという風に聞いたんですが、いかがですか。
黒沢久子:
あの『鬼滅の刃』の脚本家って未表示ですよね。
多分そういうことですよね。(制作会社になっている)
だからもう映像化も想定したところで全部こう作られてる作られるケースってのはこれから多分アニメーションを増えてくるのかもしれないですね。
さの:
あの宮崎駿ももう脚本は書かないでいきなり絵コンから入っちゃうみたいですからね。
黒沢久子:
問題色々脚本家オリジナル書きたいです、ていうことは強く言いつつ…
伴一彦:
配信会社はですねうん、オリジナルの企画はやらないと、売れてる原作しかやらない、ていう風に決まってる らしいんですよ。
ここそうなると、こっちでオリジナルで書きたい、それこそ人のふんどしで相撲は取りたくない方じゃ ないですかどちらかというと。
でもその道も閉ざされてるんですよ一方で。
黒沢久子:
本当その通りです。
せめて配信 だったらオリジナルやれるだろうって脚本家も思っていたんですけどね。
その道もちょっと閉ざされつつあって。
伴一彦:
でもあるテレビ枠は、「なんで原作物やらなきゃいけないの」みたいな、予算が少ないこともあって、「オリジナルで企画を作っていきましょう」みたいなところもあることはあるんですけどね。
黒沢久子:
まとめに入りたいと思うんですけれど、この原作者さんが「攻撃したかったわけじゃなくてごめんなさい」てコメント残されてるのが本当に私切なくて、謝る必要なんか全然なくて、なぜかというと、最初から条件として出していた、その約束を どういう経緯かわからないけど破られてしまった、ていう。
で、その経緯を説明しただけなんですよ。
どうしてこういう ことになったのか。
それは、やっぱり人として説明したいじゃないですか。
ファンの方もいらっしゃるし、なんかいろんなとこで誤解をするよりは、てなって、それをしただけで、全然謝る必要なんかないし、誰が責める攻てるべきことでもないし、でも誰かを責めたい人は、脚本家さんに向かってしまって、でも脚本家さんもやっぱり自分の言われた仕事をしただけなんですよ。
だから、その辺りはやっぱり脚本家さんも責めて欲しくないし、ただ状況が生んだなんかボタンの掛け違いで、こんなになんか世間が対立構造を作って、攻撃するような状況を起こしてしまったことが、私は、とても悲しくて仕方がありません。
はいすいません。これが私の今回の皆さんにお願いしたいことです。
本当にあの、今回の件に限らず、皆さん好きかって言ってくださっても良いんですけれど、でも読んだ人は、匿名のただの思いつきの発言でも、やっぱり脚本家として自分の作品がなんかね叩かれたりとかするのは皆さんが思っている10倍20倍実は傷ついてい るってことは分かっていただきたいなと、思っております。
皆さんの方から何か、伴さん特に何か最後にありましたら。
伴一彦:
いやもう今ね、黒沢さんがおっしゃったことが全てだと思います。
黒沢久子:
ちょっと最後にあの質問がきてるので、伴さんお答え頂けますか。
<今回の件は、今後の脚本家の先生の仕事に影響を与えると思いますか>
伴一彦:
どうなんですかね。
だから今脚本家が勝手に変えたんだ、みたいな風潮が広まったのはよろしくないしそれで、影響されることは出てきちゃうかもしれないですよね。
黒沢久子:
本当に原作通りにやらないと脚色は認められないようなうんことになりなってしまいますかね。
さの:
でも本当に原作通りにやるとなると、もうそれこそ事務所側からの要望も聞かない、テレビ局側の都合も入れない、ていう風にやって本当に純度高いものにできることってあるんですかね、そんな。
黒沢久子:
それが世間の人が求めてることだよ、ていう風に制作者サイドも判断してしまうと、そうなってしまうかもしれないですね。
じゃあ私が本当に今回もう胸が痛んだツイートを最後に読んでご意見頂いても良いでしょうか。
とある方が、このようにツイートされていました。
<今回、話題の原作をないがしろにしている脚本家 って『ミステリと言うなかれ』と一緒なの。
大人になってからドラマ映画って初期設定が多少違うだけで、話の展開も、恋愛も、人間関係もほぼ同じに見えてあまり見なくなった。
もしかして全部原作の魅力をダメダメにしている脚本家のせい?
同じようなつまらない展開は、10代の内ならまだ見飽きてないけど、20代になったらまたこの展開かよ、て飽きてくるよね。
水戸黄門見とかお決まりの展開を求めている人はそれ見てるだろうし、原作の設定だけ埋まってコピペして人気フリーライドするのが脚本家の仕事なの?>
世間はこういう風に見てる方がいるのかな。
kizaki:
脚本家のせいっていうより、プロデューサーの意見が入らない脚本ってないじゃないですか、本来。
制作体制とかなんだろう、その脚本を生み出す構造側にもっと大きな問題があるんじゃないのかなとは思いますけどね。
(略)
伴一彦:
僕もツこの件に関してポストしたのは、「両方に同情道します」て書いたのに、「そうやって擁護するんだ」的なリアクションがあったりとかね、文章をちゃんと読んでよ、みたいなね。
もうそこがなんかいや僕はそういうこと色々説明するべきだと思うんですよ、脚本家の仕事はどういう仕事で、プロデューサーどういうことみたいなことはね。
でも最低限の知識は持って欲しいなと思うのと、そうですね。
黒沢久子:
脚本家としてね、やっぱりこういう形できちんと脚本化ってどういうことするのかっていうのはやっぱり少しでもね、分かっていただけるように脚本家も 努力してかないといけないのかもしれないですよね。
伴一彦:
昔の映画とかの広告を見ると必ず脚本家と監督と同じポイント数で表示され てるじゃないですか。
これもずっとやってることだけども、氏名表示っていうのはま作品についてくるんだけれども、あのポスターとかでも脚家の名前がなかったりとか、あるいはさっきおっしゃった『鬼滅の刃』みたいに脚本家の名前が出なくて、会社になってるとか。
そこら辺の業界内での、脚本家に対する扱いみたいなこともすごく軽くなってる感じがするんですよね。
なので発信する側から変えてかないと、なかなか伝わってこないところもあると思うんですよね。
黒沢久子:
もちろん皆さんに見てもらって初めて作品成立するってところがあるわけですから、そういう方々の意見も大切なんですけれど、10習えではなく、やっぱりこちらの方が一歩先に立ってリードするぐらいの作品をこれから作り出していけたらいいですよね。
本当にもう脚本家はオリジナルでやりたいと思ってますということはね、そのために本当にみんな勉強 してる方もたくさんいますので、それだけ本当分かって頂きたいなと。
さの:
みんな勉強そこから入りますからね。
伴一彦:
あとほら、脚本家自身がこの小説を映画化したいとかドラマ化したいと思うこともあるじゃないですか。
それは直接言います?
それは幸せな出会いになるんじゃないかと思います。
kizaki:
これをきっかけにしてなんか原作もはやめようみたいな意識がなんか業界に働いてら素晴らしい原作が見過ごされるのも悲しいじゃないですか。
黒沢久子:
うんもちろんです。そこら辺もう極端になるのよしましょうよってのもありますよね。
さの:
脚本家だって頑張ってるんだから、そんな原作改変とかそんなこと言わないでよ、ていう気持ちも分かりつつ、実際にはその僕が逆の立場になった時に、好きな原作のドラマを見てみて、うわなんでこんな風にしてんだ、てことだってあるし、だからそのなんですか、別にすごい脚本家の肩持ってとは言わないですけど、でも色々変えちゃってるのは脚本家だけじゃないよ、てのはちょっと知っといて頂ければ、という気がします。
黒沢久子:
今回のことを教訓に私たちも丁寧な仕事をしていくことを務めたいなと思いました。