吉田響【なぜ転校?創価大へ】退学理由・退部者一覧(東海大駅伝部)

2022年の箱根駅伝で、
1年生のときに初出場、山の5区で驚異の8人抜きを見せ、視聴者の記憶に残ることとなった、東海大学の吉田響選手。

しかし2023年箱根駅伝に吉田響の姿はありませんでした。

そして同年の春

吉田響は、3月31日をもって東海大学を退学

そして翌月4月1日より創価大学に転校(編入)し、陸上部に所属しました。

一体何があったのでしょうか

また、東海大学陸上部では、
吉田響の他にも、彼と同期の部員が10名程退部していることが、
東海大学陸上部公式サイトにより分かっています。

本当に、一体何があったのでしょうか

吉田響は、

・なぜ東海大学から創価大学へ転校(編入)した?
 退部・退学理由は?

創価大学陸上部員はなぜ多量に辞めた
 退部者一覧は?

確認していきましょう。

目次

吉田響はなぜ東海大学から創価大学へ転校(編入)した?退部・退学理由は?

チームとの競技の考え方にズレがあり、精神的に病んでしまった。

辞めたいと考えているところに、
創価大学の監督から声が掛かった。

ということのようです。

要素を箇条書きにすると、次のようになります。

  1. チームとの競技に対する考え方のズレがあった
  2. 精神的に病んでしまい体調を崩してしまった
  3. 創価大学と縁があった

吉田響は、東海大学から創価大学へ転校(編入)した理由について、
自身のX(旧Twitter)にて明かしています。

吉田響は、2022年1月10日よりXの使用を開始しています。

全文を確認

吉田響の退学・転入(編入)理由全文

ご報告させていただきます。

3月31日をもって
東海学を退学し
4月1日から創価大学に編入し
陸上競技部の一員として協議を
続けていくことになりました。

東海大学には山の神になって
箱根駅伝で優勝をしたいという
大きな思いを抱いて入部をしました。
日ギロから練習・食事・睡眠・レース等
全てを箱根駅伝のために費やしてきました。

ただ、去年秋からチームと
私の間で競技への考え方が一致しない部分もあり
何度も両角先生やチームメイトと
話し合いを重ねてきました。

ですがある時期を境に
健康面そして精神面が
安定しなくなり、
退部、退学をせざるを得ない
状況になってしまいました。

ふとした瞬間に悲しくなったり
理由もなく涙が出たり
イライラしたり
寝たくても寝れないことや
ご飯が食べれなくなったり。
当たり前にできていたことや
コントロールできたことが
できなくなり不安な日々を
過ごしていました。

それでも箱根駅伝への思いを
捨てきれずにいたとき
幸い縁があり、創価大学で
競技を続けることができるようになりました。

諦めかけてた
山の神という目標に
また、チャレンジできること
本当に嬉しく思います。

ご批判もあるかと思いますが、
私自身、覚悟をもって今回の決断をしました。

こんな私でも、応援していただける方が一人でもいれば力になります。

東海大学の皆さま
2年間支えていただき
本当にありがとうございました。

創価大学の皆さま
これからよろしくお願いします。

創価大学3年 吉田響

転入理由①チームとの競技に対する考え方のズレがあった

吉田響転入理由の大元は、
チームと競技に対する考え方にズレが生じ、チームでうまくやっていけなくった、
ということにあるでしょう。

しかしその考え方のズレというのが、
具体的にどのようなことであったのかまでは明記されていません。

ファンも返信コメントで尋ねようとはせず、
想像するだけでした。

吉田響東海大学陸上部、両者の立場があることなので、
この先も明かされることは望めないでしょう。

転入理由②体調不良になった

吉田響はXで、
自身が精神的に病んでしまっていたことをはっきりと書いていました。

・理由もなく涙が出る
・イライラする
・不眠
・食欲不振
・不安感

かなり追い詰められていたことが分かります。

これらはどれも鬱のときに見られる症状ですよね。

現代はストレス社会ですから、吉田響の当時の症状に共感できるという人の方が多いのではないでしょうか。

転入理由③創価大学と縁があった

吉田響は、創価大学の前監督・瀬上雄然監督に声を掛けられ
辞めたいと考えていた陸上を続けたいと決めたようです。

一体なぜかというと、
吉田響と瀬上雄然前監督とは、同郷(静岡県御殿場市)だということで、
地元で何か縁があったのかもしれません。双方にとって、幸運でしたね。

かといって、
吉田響は転入することに、罪悪感があり、葛藤で苦しんだようです。

吉田響には、自身が附属高校出身で、
期待を裏切ってしまったという想いがあったようです。

しかしそうして悩んだ結果、

一皮むけて成長したい、環境を変えてチャレンジしたいという気持ちが大きくなった

https://news.yahoo.co.jp/articles/857ae366099ef750b5d94f4be932df41b6b51f64

という考えに変わり、現在に至ります。

吉田響は、2年→3年に上がるキリの良いタイミングで、東海大学から創価大学へ転校しています。

ということで、創価大学へ転入して陸上競技を続けることが決まったので、東海大学を退学した、とも言い換えられるでしょう。

また、東海大学の陸上部2月に退部し、
創価大学の陸上部の練習には、転校初日の4月1日より合流しています。
(メディア月間陸上競技・創価大学関係者の話より)

吉田響の箱根への思いが強いことを考えると、
転入が決まったことで、環境の合わなかった東海大学の陸上部から離れる決心が固まったかもしれないですね。

東海大学陸上部(駅伝部)退部者一覧

吉田響同時期に辞めた同期10人以上

東海大学陸上部(駅伝部)では、
吉田響の他にも同期の選手が同時期に10人以上辞めていったとの情報があります。

ファンが東海大学陸上部の公式HPを確認して分かったことですが、
SNSでは心配の声が上がっています。

SNSの声

吉田響の他にも2年生が10人以上辞めてる…

吉田響君は創価大学に編入したから良かった。
けど、他の退部した同期達はどうなっちゃったの?

東海大学陸上部って、
学年上がるごとに部員減っていってるよね?

東海大陸上部は何かを隠蔽している…?
内紛起こってる?

東海大学陸上部(駅伝部)退部者一覧

吉田響と同時期に東海大学陸上部(駅伝部)を退部したことが分かっている選手は、
次の通りです。

徳丸選手(5000m14:06)

竹中選手(5000m14:12)

(吉田響選手(5000m13:59))

2人とも力があり、
ファンからも一目置かれていた選手です。

その為にファンから気が付かれた、ともいえます。

吉田響の同期達の陸上部(駅伝部)理由は?

心配されているような特別な何かはなかった可能性も高い

なぜならば、
どこの学校でも、
コスト削減などの理由で、ある一定の基準を満たせない選手は退部していくことになる。

その為、
学年が上がるごとに部員数が減っていくのは、どこの学校でも大体そうである。

人気のある陸上部の部員数は、1000人を優位に超えるということです。

学校ごとに定められたある一定の基準をクリアできない選手は、
マネージャーに転向したり、辞めて就活をしたりするということです。

厳しい現実ですね。

しかし誰しもが、卒業後も陸上を続けてご飯を食べていけるわけではありません。

東海大学陸上部存続条件は?

東海大学陸上部存続条件については、
次のようなポストがありました。

毎年5000m15分以内のタイムを出す
(※出ないとマネージャーか同好会行きになる)

ということのようですね。

しかし定かとは言い切れません。

そうだとしても、他にも何か、プラスで条件があるかもしれません。

東海大学陸上部存続条件

今度は、東海大学陸上部存続条件ではなく、入部条件について見ていきます。

東海大学陸上部公式サイトでは、
以前2018年には次のような入部条件が提示されていました。

  • 5000mで15分以内の公式記録を持っている
  • 1500mで3分55秒以内の公式記録を持っている

つまり、
入部条件を満たせなくなったら
当然存続することもできなくなる、という判断でしょうか。

※近年の入部条件確認できませんでした。

しかし、吉田響のように特別な事情で陸上部を退部した、という選手も中には当然いるかもしれません。

例えば、
陸上部を続ける条件が、5000m15分以内の記録を出すということなのであれば、
徳丸選手竹中選手の記録を見る限りでは、
彼らがそれをクリアできなかったとは考えにくいです。

いずれにせよ、
当時の東海大学のチームの健康状態が良好であったとは、
やはりいえないようですね。

まとめ

吉田響【なぜ転校?創価大へ】退学理由・退部者一覧(東海大駅伝部)

吉田響は、
チームと考え方に違いが生じたことで精神面のバランスを崩し、
体調不良になった末に退部・退学を決意した。

その後は縁があった創価大学陸上部で、
気持ちを新たに陸上を続けている。

東海大学陸上部(駅伝部)では、
吉田響の他にも、動機が10人以上同時期に退部したことが確認されている。

しかしこれは同期に限ったことや東海大学に限ったことではなく、
どの大学陸上部(駅伝部)でも同様の現象が見られるという。

これは部活動コスト削減の為で、
部員は大学ごとに定められた基準をクリアできないと、
マネージャーに転向したり、辞めて就活したりする。

東海大学陸上部の場合、
部活を続けるには、「毎年5000m15分以内の記録を出す」といった条件があるようだ。

2023年吉田響は、体調不良を理由に箱根駅伝にエントリーされることはありませんでした。

しかし2024年は、創価大学のランナーとして第5区を走るものと見られています。

創価大学に転校してからはとても楽しく走れているようで、
ファンからは、
「吉田響君てこんな風に笑うんだ」
と喜びの声も上がっています。

山の神になりたい」というのが高校からの夢だという吉田響

それが叶うと良いですね。

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