本記事では、
お笑いコンビ『ガクテンソク』ツッコミ担当奥田修二、ボケ担当よじょうの、
学歴(大学・高校・中学)経歴を、
エピソード付きでまとめています。
ぜひご覧ください。
ガクテンソク奥田修二の学歴・経歴まとめ(大学・高校・中学)
●出身大学(専門学校):修成建設専門学校
●出身高校:兵庫県立宝塚高校
●出身中学校:宝塚市立安倉中学校
●出身小学校:?
・宝塚市立安倉小学校?
・宝塚市立安倉北小学校?
・宝塚市立小浜小学校?
→出身中学・高校は、相方のよじょうと同じです。
ガクテンソク奥田が、お笑いに興味を持ち出したのは、幼稚園からだったようです。
しかしこの頃は、お笑いというよりは、バラエティー番組のチーム感にひかれていたのかもしれない、とガクテンソク奥田は振り返っています。
幼稚園~小学校低学年にかけては、志村けんにハマっていたそうです。
“変なおじさん”のモノマネもできたそうで…
ガクテンソク奥田修二の出身小学校
・宝塚市立安倉小学校?
・宝塚市立安倉北小学校?
・宝塚市立小浜小学校?
※中学校より割り出し。引っ越してなければ上記のいずれかです。
ガクテンソク奥田修小学生時代のエピソード①お笑いに目覚める
『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を観ていたそうです。
学校3・4年~、『とんねるずんのみなさんのおかげです』の”仮面ノリダー”に大ハマりしたそうです。
ノリダーの真似をして、サインペンで鼻の穴を大きく描いて遊んでいたら、誤って油性ペンで描いてしまい、必死に落とそうと、石鹸でめちゃくちゃこすって、めちゃくちゃかぶれた。
https://note.com/gakutensokuokuda
『とんねるずんのみなさんのおかげです』の後に始まった、
『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』(後の『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』)も好きで、
“ナンチャンを探せ”というコーナーは、死ぬほど好きだったということでした。
ガクテンソク奥田は、やんちゃな幼少期時代を過ごしたようですね。
そして中々のテレビっ子だったのかもしれないですね。
ガクテンソク奥田修小学生時代のエピソード②運動神経は開花せず
ガクテンソク奥田は、小学校3年生より、
- 剣道
- サッカー(学校のクラブ)
を始めました。
しかし1年程続けた結果、どちらも才能は開花せず、辞めてしまいたくなったそうです。
ですが練習道具にお金が多く掛かっていた剣道は続けることにしたそうです。
親御さんの気持ちもあったのかもしれないですね。
しかし大人になったガクテンソク奥田には、
Jリーガーになれるのものならばなりたかったという憧れもあるようで、
サッカーが、好きなことは好きなようですね。
ガクテンソク奥田修小学生時代のエピソード③回転寿司で「おあいそ」が言えなくて涙
ガクテンソク奥田には、
いかにも小学生らしい、次のようなかわいらしい思い出もあります。
ガクテンソク奥田一家は、ある日みんなで回転寿司に出掛けました。
そしてお会計にしようとなって、
ガクテンソク奥田は、
母親から「おあいそ」(勘定)と店員に言うことを頼まれます。
しかしガクテンソク奥田は、
緊張と恥ずかしさから店員に「おあいそ」が言えず、
意味不明に泣き出してしまったというのです。
たしかに意味不明ですが、
共感はできますよね。
誰にでも似たような経験は、きっとあると思います。
大人になっても中々忘れられないですよね。
現在となっては毎日人前に立つ仕事をしているガクテンソク奥田ですが、
昔は、恥ずかしがり屋な子どもだったんですね。
ガクテンソク奥田いわく、
中年になった今でも、
緊張しいの恥ずかしがり屋は変わらないということです。
確かに、アメトーークに出演した際には、
恐らく手が緊張で震えていて、それが視聴者の間で話題となっていました。
▼詳しくはこちら
しかしそういうときは、芸人のスイッチを入れるのだそうです。
一般接客業も芸人も、仕事の面をかぶるというところは、同じなんですね。
ガクテンソク奥田修二の出身中学校
宝塚市立安倉中学校
ガクテンソク奥田修中学生時代のエピソード①お笑い番組大好き
ガクテンソク奥田は、中学生になると、土曜の深夜が楽しみにするようになります。
というのも、ナイナイの『めちゃ×2モテたいッ!』→『すんげー!Best10』(ローカルテレビ)があるから。
あとは、『おとなのえほん』と『ギルガメッシュないと』もあったといいます。
そしてその頃から、『オールザッツ漫才』も見るようになったということです。
「普段テレビで見れないけど、こういう人が芸人さんに支持されてるんやなぁ。」と、なんだか裏側を知ったような気がして、芸人さんの仲間になった気がして嬉しかった。
https://note.com/gakutensokuokuda
この頃から、芸人に対する憧れは、確実にわいてきていたようですね。
ガクテンソク奥田修中学生時代のエピソード②太っていた為、保健室の先生に部活へ入ることを勧められる
ガクテンソク奥田は、現在の身長が180センチと、かなり高いです。
しかし中学生の頃は、身長150センチの体重は67~68キログラムと、ぶたまんのようだったといいます。
そう聞くと、
ガクテンソク奥田は小顔ですが、丸顔で肌がつやつやしているので、なんだか想像できる気がします。
それで太っていることを保健室の先生に心配されたようで、部活に入ることを勧められたそうです。
生徒思いの先生ですね。
それでガクテンソク奥田が入った部活が剣道。
最初はソフトテニス部に入部したそうですが、
サーブが上から打てなかったことでという退部。
運動神経はやはりない方なんですかね。
結局、剣道部に落ち着いたということです。
そのかいあってか、
ガクテンソク奥田は中学3年のときに身長が急激に伸び、卒業時には、177センチにまで伸びていたといいます。
ガクテンソク奥田修中学生時代のエピソード③イベント好きが理由で、どんなに雨が降っても傘を差さない
そして面白いのが、ガクテンソク奥田は、
中学1年生まで、どんなに雨が降ろうが、傘を差すことはしなかったというエピソードです。
その理由が、雨が降ると、プールの授業など、楽しみにしていた予定が台無しになるので、雨を無視しようと決めていたからなのだそうです。
かわいいエピソードですよね。
プールや、グランド遊びが好きだったのでしょうか。楽しい学生生活だったようですね。
それでも大雨の日はあるわけで、
そのときはどうしていたかというと、両親に無理やりカッパを着せられたということです。
一般的には、
みんなが傘ひとりカッパ姿で登校というのも、
人目を気にしてしまいそうですが、自分を持ってますね。
ところがそんなある日、
ガクテンソク奥田に転機が訪れます。
あんなに頑なだったはずのガクテンソク奥田の自分ルールが、いともあっけなく破られることになった理由、
それはなぜかというと、モテたかったから。
当時、学校でKANGOLの傘が流行っていたそうですが、
それを持っていると女子からモテるという話を聞いて、
早速KANGOLの傘を買って、差すようになったということです。
大人になって、価値観が変わったということですね。
しかし当然のことかもしれないですが、やはり誰でもモテたいものなんですね。
ガクテンソク奥田修中学生時代のエピソード④影のあだ名が「若ハゲ」
ガクテンソク奥田には、中学時代のこんな切ないエピソードもあります。
ガクテンソク奥田は、元々猫毛のストレートで、毛量が少なく、つむじは大きいといいます。
中学生のある日、
ガクテンソク奥田は、頭を当時流行っていたセンター分けにしようと、
つむじから髪を分けてみたところ、
その分け目が、「広場に続く道』のようになってしまったそうです。
それで、「若ハゲ」だと、陰口をたたかれるようになったということです。
しかしガクテンソク奥田本人には気が付かれないようにと、
影のあだ名は「若」で定着したということです。
(「若ハゲ」から「ハゲ」を取り除いた)
「若」は付けられた経緯を考えなければ、
格好良いあだ名ですよね。
「ハゲ」とかいう類の言葉が妙に面白く感じられる時期、ありますよね。
ガクテンソク奥田は、
本当にハゲと思われたくなかったということで、
つむじが目立たなくなるよう、髪型を工夫していたということです。
中学時からまさかハゲに頭を悩ませることになるとは…心労をお察します。
しかしその後は、そういう髪質だっただけだったということが分かり、
大人になってから薄毛に悩んでいる、ということはないということです。
確かに髪がふさふさした印象があります。良かったです。
ガクテンソク奥田修二の出身高校
兵庫県立宝塚高校
ザセカンドの司会を務める東野幸治は、
ガクテンソク奥田と同じ宝塚高校だということで、
ザセカンド2024年グランプリファイナルメンバーの中で、
唯一ひいきしていると話していました。
ガクテンソク奥田修高校時代のエピソード①とがっていた
ガクテンソク奥田が高校に入学すると、
『吉本超合金』が大ブームになりました。
また、吉本劇場『baseよしもと』ができます。
クラスの女子も何人かハマっていたということです。
しかしその女子たちの笑うところが浅く感じられたということで、
「女子が笑うところは浅いねん。もっとちゃんとしたところで笑えよな。」
と思っていたそうです。
ガクテンソク奥田は、当時を振り返って、
「無事に思春期をこじらせることが出来ていて、なんだかホッコリする」といっています。
分かります。
大人になって、反抗期だった頃の自分を思い出すと、
親や周囲には申し訳ないですが、
なんだか、自分じゃないようで、だけど自分なことが、なんだかうれしくないですか。
しかしこういう昔は尖っていたという話、
成功している芸人さんの話でよく耳にする気がします。
ガクテンソク奥田にもそういう過去があったとは…確かに、なんだかほっこりします。
ガクテンソク奥田修高校時代のエピソード①モーニング娘。にハマる
ガクテンソク奥田は、モーニング娘。のファンになったということです。
当時のモーニング娘。の勢いはすごく、社会現象となっていましたからね。
モーニング娘。世代のほとんどの人たちが、彼女たちのファンだったのではないかという気はします。
ガクテンソク奥田は、
その後も様々なアイドルグループのファンになりました。
アイドル好きの影響で、
「女性の髪の変化には気付くようにしている」のだそうです。
モテそうですね。
実際、芸人になってから、
ある共演者の内の女芸人・酒井藍の髪型の変化に気が付いて、喜ばれるというシーンがありました。
ガクテンソク奥田修高校時代のエピソード②部活は剣道
ガクテンソク奥田の部活は、中学に引き続き剣道部でした。
「帰宅部でもいいかな?」と思っていたそうですが、
なんとなく剣道部の見学に行ってみると、
3年の先輩に、経験者ということあって喜ばれてしまい、引くに引けなくなって、そのまま続けたということでした。
なんだかんだで、剣道が好きそうに見えますね。
剣道は高校で辞めたということですが、
小学3年生から、累計して8年、剣道を続けたということになりますね。
すごい特技でよね。
剣道といえば、
過去に『アメトーーク』で、”剣道やってた芸人”がやっていました。
ガクテンソク奥田は出演していませんでしたが。
▼山内健司が出ていました。
剣道の対戦相手には困らなそうなので、
その内、ガクテンソク奥田の剣道の腕前もテレビで披露されることになると良いですね。
ザ・セカンド2024で優勝したので、
近い内にありそうです。
▼詳しはこちら
因みに剣道をやっていると、足裏に、たこができるそうで、
これが劇痛だということです。
足裏が床にこすれて、
その摩擦で火傷して水ぶくれができて、
それがやぶれて固くなってたこになる、ということだそうです。
聞いているだけで痛いですね。
しかし大人になった今では、
それが小さくなっていて消えてしまうのがなんだかさみしいようで、
たまにフローリングで足をこすったりするということですよ。
深良い話ですね。
あのときはあんなに嫌だったものが、それがなくなりそうになると、焦ってジタバタする。そんなことばっかりを繰り返してる気がします。
https://note.com/gakutensokuokuda
足だこ、努力の結晶ですよね。
ガクテンソク奥田修二の出身大学(専門学校)
修成建設専門学校(2年制)
修成建設専門学校は、建築・土木・造園を学ぶことができる専門学校です。
ガクテンソク奥田は、造園施工管理技士2級の資格を持っています。
が、恐らくそれは、修成建設専門学校在学中に取得したものなのでしょう。
ガクテンソク奥田の実家は、造園業を営んでいます。
それで、造園業に興味を持ったのでしょう。
当時は、家業を継ぐつもりだったのでしょうか。
ガクテンソク奥田修大学生時代のエピソード①選挙行ける年齢になって大喜び
ガクテンソク奥田は、選挙が好きだということです。
立派な若者ですね。
20歳になる前日には、
選挙に行けるようになることを、
大人のビデオを初めて借りるときと同じくらい、興奮して喜んだということです。
ガクテンソク奥田修大学生時代のエピソード②相方よじょうと意気投合
ガクテンソク奥田と相方のよじょうとは、
中学・高校の同級生であったものの、
在学当時は互いに目立たない存在で、顔見知り程度だったといいます。
しかし20歳の頃に、
地元のプール『宝塚チボリ』の監視員あるバイトとして偶然再会します。
(※宝塚チボリは、現在閉館)
薄毛を気にしていたガクテンソク奥田は、
当時、「木を隠すなら森の中」理論で、
金髪に染めてみたり、スキンヘッドに近い坊主頭にしたりしていたということです。
プールバイトのときは、丸刈りでひげを生やして、真っ黒に日焼けをしていたということですが、よじょうも同じような風貌をしていたといいます。
そしてふたりとも、そのような風貌であったにもかかわらず、女の子には奥手でした。
これらの共通点から、ふたりは意気投合したのだといいます。
そしてガクテンソク奥田のリーダーシップぶりが、すごかったそうです。
(同郷出身のディレクターの岩下裕一郎情報)▼
奥田さんには政治家になってほしい。プールの監視員のバイトでご一緒していたが、抜群のリーダーシップで宝塚チボリプールを仕切っていた。 https://t.co/hvOMh0b5ca
— 岩下裕一郎(テレビD) (@yogafire5) July 5, 2020
ガクテンソク奥田修二大学卒業後
ガクテンソク奥田修は卒業後は就職し、
その後2年程、
造園業に携わる仕事をしていたようです。
辞めた理由は、
仕事が楽しすぎて、
時間があっとういう間にすぎてしまうので、
あっという間に死んでしまうと思ったからだという話がありますが…
本当に楽しければ本望だと思うので、
何か違った感はあったのかもしれないですね。
23歳のときに、
NSCに入学することになります。
ガクテンソクよじょうの学歴・経歴まとめ(大学・高校・中学)
●出身大学:関西大学(社会学部)
●出身高校:兵庫県立宝塚高等学校
●出身中学校:宝塚市立安倉中学校
●出身小学校:?
・宝塚市立安倉小学校?
・宝塚市立安倉北小学校?
・宝塚市立小浜小学校?
→出身中学・高校は、相方の奥田修二と同じです。
ガクテンソクよじょうの出身中学校
宝塚市立安倉中学校
ガクテンソクよじょうの出身高校
兵庫県立宝塚高等学校
よじょうは、当時は、目立たない真面目な学生であったということです。
ガクテンソクよじょうの出身大学(専門学校)
関西大学社会学部(4年制)
ガクテンソクよじょうは、元々教員を志していました。
それで、大学にて、中学校・社会科の教員免許を取得したようです。
教育実習として、母校である宝塚市立安倉中学校に行きました。
しかし安倉中学校はすっかり荒れており…なんと、1年生のヤンキーに、カツアゲされたそうです。
それで怖くなり嫌になったようです。
それは嫌になりますよね、プライドも傷ついたことでしょう。
中学1年生なんて、まだ子どものようですが、たしかにもっとも青い時期かもしれません、カツアゲをするとは、おそろしいですね。
それでモチベーションが下がったのかは、分からないですが、採用試験には落ちてしまったようですね。
翌年の教員試験まで、”教職浪人”として勉強することになります。
相方の奥田とは、中高と同級生でしたが、互いに目立った存在ではなく、顔見知り程度でした。
それが、20歳の頃に監視員としてアルバイトをしていた地元のプール『宝塚チボリ』で、偶然再開。(※宝塚チボリは、現在閉館)
ふたりは、真っ黒に日焼けしたスキンヘッドにひげ、しかし女の子には奥手という共通点があったことで、意気投合。
以来、つるむようになります。
ガクテンソクよじょうは、金髪にしてみたり、スキンヘッドにしてみたり、当時、髪でけっこう遊んでいたようです。
ガクテンソク奥田・よじょうの経歴まとめ(コンビ結成~)
ガクテンソク奥田は、
2003年(当時21歳)に、笑い飯のネタ「奈良県立歴史民俗博物館を」をリアルタイムで見て、感銘を受けます。
ガクテンソク奥田はこの時の感動を、「バラエティー番組をこえる漫才を見た」と振り返っています。
約4分の漫才で、2時間のバラエティ番組の特番を見たくらいに泣き笑った。
https://note.com/gakutensokuokuda
これがきっかけとなりガクテンソク奥田は、
「漫才やりたいかも。M-1出てみたいかも。」
と、思うことになりました。
当時のガクテンソク奥田は、
ダウンタウンの影響で、
(同級生でないと売れない)
となぜか思い込んでいたといいます。
ガクテンソク奥田が当時つるんでいたのが、
・小学校からの同級生で、大学卒業後はミュージシャンを目指して活動しているフリーターの「うだぞう」。
・中学校からの同級生で、教員になる予定が、採用試験に落ち、来年の教員試験まで『教職浪人』として勉強しているフリーターの「よじょう」。
ガクテンソク奥田は、うだぞうに狙いを定めると、「結婚して下さい」とプロポーズするかのような気恥ずかしさと闘いながら、決死の思いで、うだぞうに電話をかけお笑いに誘いました。
『いや、こっちこそごめんな。』「今、よじょうちゃんと飲んでんねんけど、まぁ単刀直入に言うわ。コンビ組んで、一緒にM-1出えへん?」
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しかし答えは、”ごめん。お笑いは好きやし、おくちゃんおもろいと思うけど、自分がやるって考えはないわ。”というものでした。
うだぞうは、ミュージシャンを目指していたわけですから、
致し方ない返答でした。
すると激高したよじょうが携帯を奥田から奪って、
うだぞうにキレながら、
奥田の良さをプレゼンしたといいます。
奥田思いですね。
奥田はめちゃくちゃ恥ずかしく、
やめてほしかったといいますが…
そこで奥田は、ノリで、よじょうを誘ってみることにします。
「来年の今ぐらいの時期、二人とも、なにもしてなかったらさ、一緒にM-1に出えへん?」
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答えは、
『俺、ボケしか出来へんで?』
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というものでした。
よじょうはすでに教員免許も取っていて教師を目指していたので、
あまり積極的には誘えなかったのかもしれないですね。
ガクテンソク誕生の瞬間でした。
以降、ふたりには、
幾度か解散の危機も訪れます。
しかしそれも乗り越え、
2024年には、ついに、
お笑い賞レース『ザセカンド』決勝進出を決めました。
優勝すると良いですね。
2021年にコンビ名を学天即→ガクテンソクに改名
改名理由は、
「姓名判断したところ、
学天即は地獄で、
ガクテンソクは天国だった為」
だということです。
すごく頑張られているのだということが、
伝わってくるエピソードですね。
学天即は確かに読みづらいですし、
書きづらいですし、
改名して運気は天国に向かって上がっていってるのかもしれません。
ガクテンソクの賞レースでの主な成績
- Ⅿー1グランプリ- 最高準決勝進出。
- キングオブコント- 最高準決勝進出。
- 第4回 ytv漫才新人賞 – 優勝(2015年)
- 賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜 シーズン4 – 優勝(2021年)
- 賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜 シーズン8 – 優勝(2022年)
- 生配信!よしもと市場 第1回お笑いグランプリ – 優勝(2023年)
- なんばグランド花月主催 第1回全国お笑い大会 – 優勝(2024年)
- THE SECOND 〜漫才トーナメント〜 -決勝進出(2024年)
まとめ
ガクテンソク奥田修二【学歴・経歴】大学・高校・中学
●出身大学(専門学校):修成建設専門学校
●出身高校:兵庫県立宝塚高校
●出身中学校:宝塚市立安倉中学校
●出身小学校:?
・宝塚市立安倉小学校?
・宝塚市立安倉北小学校?
・宝塚市立小浜小学校?
ガクテンソクよじょう【学歴・経歴】大学・高校・中学
●出身大学:関西大学(社会学部)
●出身高校:兵庫県立宝塚高等学校
●出身中学校:宝塚市立安倉中学校
●出身小学校:?
・宝塚市立安倉小学校?
・宝塚市立安倉北小学校?
・宝塚市立小浜小学校?
なんだかんだで、
コンビに学生時代の思い出があるとエモいですし、
ガクテンソク奥田が相方に同級生のよじょうを選んだというのは、
良かったかもしれないですね。
どっちかが芸人を目指していて、
同級生を誘ったパターンは、
よく耳にしますね。
例えば、
千鳥大悟→ノブ、チュートリアル徳井→福田、囲碁将棋文田→根建などがそうです。
ガクテンソクの今後益々の活躍を楽しみにしたいと思います。
※参考:Wikipedia.ガンテンソク奥田note